自己紹介 

自己紹介

 

改めまして、大吾と申します、

 

現在、外資の医療機器メーカーへ勤務しております。

 

昨年まで製薬業界に勤務しておりました。

 

その転職体験記、MR時代の話、そして医療機器って何を

 

中心に情報発信していきます。

 

 

現在は東京在住の36歳です。妻と3人の子供と生活しております。

 

平日は仕事、土日は家族サービスの普通のサラリーマンです。

 

 

 

MR時代の私を振り返られせていただきます。

 

 

MR人生① 新人 九州編

 

研修を含め11年間勤務しておりました。

 

九州3年 北海道4年 東京4年 にて34歳の時に転職いたしました。

 

MR歴は11年になります。

 

いわば飲み食いの時代 時代変革の時代 MRの時代と

 

変化の多い時代を過ごしてまいりました。

 

特に新人の頃はパワハラ上司に加え、年休という概念は無いとの時代でした。

 

コンプライアンスなんて言葉ありましたかって思います。

 

最後は働き方改革や世間の目から、サポートタイプな管理者が増えましたし

 

年休を促進してきたり、本当に変化してきたなと思います。

 

 

今振り返れば

 

会社の力が徐々に弱くなってきている、組織から個の力が強くなっていることを

 

感じた10年間でした。もちろん終身雇用など死語の代名詞です。

 

 

最初の配属先は地元の九州でした。

 

都心部の開業医を担当しておりました。

 

当時は生活習慣病製品をSOVで売る、いわば典型的なプライマリーMRです。

 

医薬品の差はあるものの、人間力・訪問回数・そして接待や行事といった

 

プラスアルファで決まっていました。

 

誤解を恐れず言えば、営業力そのものです。

 

歴史を振り返れば、丁度この頃より、後発品への移行が国策として進んで来ました。

 

代表例は処方箋です。変更して良い場合は署名捺印だったものが、

 

変更不可の場合に署名捺印に変わりました。

 

これは多忙な医師であればたまったものではありません。

 

このあたりから徐々に医薬品業界の崩壊の足音があったのかもしれません。

 

 

しかしリーマンショックが起こり、景気が減退した時期でも医薬品業界は

 

びくともしませんでした。私の親族は何人も失業しております。

 

このように特殊な業界であったことは事実です。

 

業界の変化としては、処方箋様式の変更と調剤薬局の後発品比率ができました。

 

また新薬創出加算ができました。

 

 

いわば先発品は守る代わりに、長期収載品を後発に移行してねということです

 

 

MR人生その2 北海道僻地勤務編

 

3年目に辞令があり、北海道配属となりました。

 

勿論初めての転勤ですし、親元を離れ初めての一人暮らしも経験しました。

 

と言っても出張生活であり平日はホテルを転々と暮らしておりました。

 

 

ここで医療の原点を今一度振り返るきっかけとなりました。

 

僻地医療は当時から限界寸前でしたが、都市部で患者を増やすために努力をする医師は

 

ほとんど見かけませんでした。

 

自分がいなくなればこの地区の医療は崩壊する。

 

体が動くうちは踏みとどまらなければならない。

 

心筋梗塞になっても搬送されるまで何時間もかかる地区だ

 

故に予防医学を徹底しなければならない。

 

正直、そのような医師たちに貢献できること、最大の喜びでした。

 

正直300床以上の病院にて、2次救急を含めた医療をこなすには

 

少なくても40人以上の医師が必要です。

 

どんなに多くとも25人程度だったと記憶しております。

 

 

MRとして、その環境をサポートしたいと思っておりました。

 

 

移動距離が長く、1つの町に1軒の町立診療所を1時間かけて移動しながら訪問する。

 

効率的とは言えませんが人も優しく、そして沢山の事を教えて頂きました。

 

 

業界の変化としては 消費税の引き上げに加え

 

・Z2ルールが新設 長期収載品の引き下げがさらに加速される。

 

・後発品の採用比率は調剤薬局に加え、DPC病院でも厳しくなる。

 

・後発品やバイオシミラーの価格算定ルールが決まる。

 

いわば、ますます長期収載品を後発品にしなさいの流れが強まりました。

 

 

こんな流れでした。

 

また改めて更新いたします。

 

大吾